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7/01/2007

2007.07 ピエロ・デッラ・フランチェスカ大展覧会

街中が一つになる。ピエロ・デッラ・フランチェスカ大展覧会

ピエロ・デッラ・フランチェスカ(PIERO DELLA FRANCESCA 1413-1492。生誕について専門書の記述には、かなりばらつきがあります。)はイタリア15世紀を代表する画家。イタリア旅行といえばフィレンツェ、フィレンツェといえば見逃せないのが今年の春、太っ腹にもレオナルドの受胎告知を東京国立博物館に貸出したウフィツィ美術館。ピエロ・デッラ・フランチェスカとは、このウフィツィの主要展示の一つとされる“ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ夫妻の肖像”を描いた人物なのです。近年日本でも優れた翻訳書や研究書が次々と発行されたので、すでにご存知の方も多いことかと。この偉大なる芸術家の大規模な展覧会が、現在トスカーナ中東部のアレッツオ(Arezzo)の中世・現代芸術国立博物館を中心に行われています。

 ちょっと海に行くつもりが

わけあってリミニへ。リミニはエミリア=ロマーニャ州のアドリア海に面する都市で、ローマ人による貿易港として栄えた偉大な古代の都市。現在も商業という面で言うと、見本市がありボローニャ等の都市にも近いため、平日はビジネスマンが多く見られますが、何といっても夏は海!海水浴地としてその名はイタリア中に知られ、比較的安価な夏のみ営業の宿が多いことも手伝い、毎週末お友達グループと通っていると思われるお年寄りや、家族連れの姿が多く見られます。
 先週末、ミラノからアドリア海沿いにペスカーラより更に奥のアブルッツオ州、スルモナという街まで行く機会がありました。結婚式で配る砂糖がけのアーモンド菓子“コンフェッティ”発祥の地ということもあり、小さくとも大変華やかな観光地。グラン・サッソを眺める広大な自然に囲まれた宝石のような都市です。しかしミラノからはとっても遠い!車を持たない私達は8時間ほどゴトゴト電車で南下。着いた頃には座りすぎで。お尻も少々痛くなっていました。更に帰りもひたすら電車に揺られて、車窓に広がる眩いアドリア海を、指をくわえながら眺めるだけで暑いミラノに帰るのかいや、それではつまらないぞっ!と、勘に頼って途中下車を決行。土・日何なら月までならと、MIRRO2名、誠に勝手ながら休暇を取ることにしたのでありました。はじめの下車駅はサンベネデットデルトロント(San Benedetto del Tronto)というマルケ州の都市。偶然通りがかった海岸沿いにあるホテルに恐る恐る値段を聞き、案外お安いので一晩の宿を即決そして早速、(とは言っても午後5時に)人影の少なくなった海岸へと走り海へドボン。この日の喜びと開放感は、全く忘れられません。翌日リミニに移動し、大変親切な駅前の観光案内所でホテルを予約し、やはり海へ。しかしこの行き当たりばったりの途中下車の旅路、私達の頭中では一つの計画が常に実現に向かって育まれていたのでした。

 電車がダメならバス。直線距離なら近いトスカーナ。

リミニの中心街には、マラテスティアーノ寺院(Tempio Maratestiano)というちょっと変わった教会が存在します。何が変わっているかというと見れば一目瞭然。ローマ様式を汲むアーチのデザイン、大理石できっちりと組まれた外壁の中に、前面中心の上部からレンガ造りの教会の一部がひょっこり顔をのぞかせている所。1448年からリミニの時の君主シジスモンド・マラテスタ公に召喚され、建築家レオン・バッティスタ・アリベルティ(かの有名なフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会正面のデザインを担当した建築家といえば、ルネッサンス様式を開拓し築いた重要人物であることが伺えるでしょう)が中心となり以前13世紀にはサンフランチェスコ聖堂であったこの建物の改装をはじめたものの、マラテスタ公の死により計画が中断し現在の形で残されたという話。そんな歴史を辿るこの寺院には、冒頭で説明をしたピエロ・デッラ・フランチェスカの作品“聖シジスモンドとシジスモンド・マラテスタ”もまた、残されているのです。

 今では修復も完璧に施されたこのフレスコ画の前に立つと、この芸術家がどれほどの技量を持ち、暴君として知られ、しかし芸術に関しては誰よりも造詣が深かったというマラテスタ公による命を誠実に、そして冷静にこなす人格を備えた人物であったのか、時を越えてこの絵自身が証人として教えてくれるように感じます。言葉を失うほど、説得力のある完璧な画面構成。綿密な計画と確かな技術によってはじめて得られる完成度の高さ。
 ここでこの壁画を見てしまったなら、そしてこの駅前から美術展が行われているアレッツオまでのバスが出ていると知ったなら、行かないわけにはいかないでしょう!というわけで、私達は迷わず偶然の休暇最終日を締めくくる一日を、アレッツオで送る事に決めたのです。
 バスが出ているといっても、一日にたった一本のみ。電車での移動は大変面倒なので、駅員さんも観光案内所のお姉さんも、誰一人として勧めてはくれません。イタリアの地図を見ればリミニはちょうど向かって右の脇の下の下側あたり。アレッツオはそのまま左に行って言わば“みぞおち”あたり。電車の場合は一旦上に上がってボローニャ、そこから乗り換えて斜め下のフィレンツェまで降りるジグザグコース。しかし車で旅をするならば、スパッとほぼ直線距離で測ることができるのです。それでも時間は4時間程かかるのですが。

 駅からすぐに展覧会

 今回の展示は、ピエロの主な作品が見られる三つの都市を結ぶという趣旨があるようで、どのポスターにもパンフレットにも、アレッツオ・モンテルキ・サンセポルクロという三都市名が記載されています。モンテルキはピエロの母親の故郷であり、崇高な美しさを持つ壁画“出産の聖母”が。サンセポルクロはピエロの故郷なだけに“キリストの復活”等の主要な作品が多く残っています。そしてアレッツオではピエロの出世作とも呼ばれる傑作“聖十字架伝説”を聖フランチェスコ教会の祭壇奥、Bacci礼拝堂に見ることができ、大聖堂には美しい“マグダラのマリア”が待っています。これらは展示期間を過ぎたとしても、開館時間には見ることのできる作品。(聖十字架伝説については間近で見るためにはチケットを購入する必要があります。)3都市の距離は比較的近いとはいえ、車がなければモンテルキ、サンセポルクロまでは本数の限られたバスで時間をかけてゆく事になります。交通機関の不便さに関しては特別展期間も変わらない様。私達も今回は涙を飲んで、アレッツオのみ駆け足でまわる事にしました。
 当初の計画は、〔駅で鞄を預ける〕→〔聖フランチェスコ教会にて壁画鑑賞予約〕→〔美術館〕→〔壁画鑑賞〕→〔ヴァザーリの家や他教会等を見学し、大聖堂に登る〕とざっくり決めてかかっておりました。ところが、スタート地点からすぐに問題発生。駅員さんに鞄をどこに預けようかと訪ねたところ“手荷物預かり所、コインロッカーは一切排除されて今はないよ!残念だけど。”という返事が。動揺しながら行った観光案内所でも同じ答えが。しかし、「美術館には荷物預かりがあるから、まず美術館にいって荷物を預けて教会にいってみたらどうかしら?」という案内所のお姉さんのアドバイスが。1日荷物を預かってくれる美術館なんてあるのだろうか?と拭えぬ不安と重い荷物を抱えながら美術館に行ってみると、拍子抜けするほど快く、荷物を預かってくれました。更にBacci礼拝堂の壁画鑑賞予約もすべてここで完了。ホッとした途端に朝食を取っていなかった事を思い出し、身軽さと期待と、そして空腹を道連れに美術館を後にしたのでした。(書き続けると1年かかってしまう程、内容の濃い展示だったため、ひとまずこれにて。)

展示情報
PIERO DELLA FRANCESCA E LE CORTI ITALIANE
公式サイト:http://www.mostrapierodellafrancesca.it/
場所:AREZZO (MUSEO STATALE D’ARTE MEDIEVALE E MODERNA) , MONTERCHI , SANSEPOLCRO
期間:2007331日~722(残すところあとわずか!)
メイン会場の中世・現代芸術国立博物館には、ピエロの貴重な作品ウフィツィ美術館収蔵の“ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ夫妻の肖像”(2枚のパネル表裏2面に描かれた珍しい2連肖像画)、ルーブル美術館収蔵の“シジスモンド・マラテスタの肖像”、ヴェネチアはアカデミア美術館収蔵の“聖ヒロエニムスと寄進者”、ウルビーノのマルケ国立美術館収蔵“セニガッリアの聖母”が集結。時の権力者との関わりや時代背景、作風や題材を知るための資料として、ピサネッロのメダルやスケッチ、フィリッポ・リッピ作品など当時活躍していた芸術家、知識人達の作品も展示されています。他、数学家としてのピエロを表す資料や、今まで公開されていなかったプライベートコレクションの初期ピエロ(とみられる)作品も見ることができます。

写真1:マラテスティアーノ寺院。建物の裏に回ると、どこまでが改装され大理石に覆われているのかが、よくわかります。

写真2:左:聖フランチェスコ教会。内部に“聖十字架伝”が。中:大聖堂内部。右:大聖堂にある“マグダラのマリア”

写真3:ここにもそこにもあそこにも!今回の展示ポスターや標識が駅をはじめアレッツオの町中に。